光文社
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光文社の新翻訳シリーズ。レフ・ニコラエヴィチ・トルストイは1828-1910、帝政ロシアの小説家。訳者の望月哲男さんは、北大の教授らしい。イワンの方は舞台が1882年、小説の初版が1884年らしい。クロイツェル・ソナタは1889年とされている。
イワン・イリイチの死
前者を読み終わって印象に残るのは、結婚と人生に対する辛辣な描写。最初は良かれと思って結婚し、幸せであったのが、不満・不快が表れ始め多くなっていき、やがて快適に幸福に過ごせる時間が離れ小嶋のようにぽつぽつとしかなくなり。それも間遠になってやがてなくなり、望むのはそこから逃避していくこと。あるあるあるある。。。ひどいですね。すみません。そういうのは少数派かも知れず、何年経っても仲良く暮らしている夫婦もあるので、相性&スキルの問題とは思う。
小説の方では、原因不明の病に倒れ死に瀕するようになり、うまくやってきたと思っていた人生を振り返るなかで、結婚に対する理想と幻滅が人生全体に引き伸ばされる。本当に価値のあることとは何だろう。人の生きる意味とは何だろう。自分は何のために生きているのだろう。何をもって自分の存在を正当なものと主張できるだろうか。こういう質問をして耐えられる人生はめったになかろう。
話はそれるが、現代的なインテリゲンチャは「価値=意味はない」ということを出発点として論を立てる傾向にあると思うのだけど、19世紀末のインテリゲンチャは、そのような問いに真っ向からぶつかって、ある者は破滅し、ある者は最後の一点に救いを見出した。
思い出すのは『春にして君を離れ』(アガサ・クリスティー)。ジョーン・スカダモアは立派だし、そのだんなも、感心はしないが、それなりに立派だと思う。『春にして君を離れ』は必ずしも悲劇ではない。イワンの方も読んでみると面白いと思う。
『春にして君を離れ』については、古典的名作・傑作ではないが故の、感じるものがあると思う。一方、『イワン・イリイチの死』は、歴史的傑作であるが故に、万人に通じる普遍性と、その一方でのインパクトの弱さ、だれにでも通じる言葉に価値がないようにも思えてしまう。でも、後者もすばらしい小説と思う。前者を読んで感じるものがあった人には、後者も読んでほしい。その逆も然り。
クロイツェル・ソナタ
『クロイツェル・ソナタ』は、昔、新潮で読んで面白かった。新訳で再読したが、面白かった。
「クロイツェル・ソナタ」はベートーベンが作曲した、ヴァイオリン助奏つきのピアノ・ソナタなのだそうだ。
恋愛感情や男女間の親密さは、突き詰めれば性欲に由来しているということが、訥々と語られる。夫婦生活の描写は『イワン・イリイチの死』と同じようでもあるが、こちらでは、恋愛感情や親密さといった、崇高とされるものも、性欲を背景とした自動反応で汚らわしいものとされる。
それもそうだと思う。親密さの下部構造としてのSEXに注目した作品が多々あるように思う。ここらへんのことを考えるのは難しい。どういうことなんだろうね。前にも書いたことがあるが、人を好きになる場合、なぜ、絵や星や樹を見て感嘆するように愛せないのか。絵や星や樹を愛でる場合、対象をどうこうしたいという気にはならない。それなのに、対象が人の場合に抱く、見たい・聴きたい・触れたい・匂いをかぎたいという欲望はなんなんだろうかと。「それは性欲です」というのは簡単だと思うけど。率直に言って不思議だし困る。
それはそれとして、本作品は表現と考察が面白いと思う。普通の感想だけど。




















